

行動デザインはいかに日常のイノベーションを生み出すのか
便利な機能を追加したのに利用されない。新しい制度を導入したのに定着しない。
優れたアイデアや取り組みであっても、期待した成果につながらないことは少なくありません。本記事では、行動デザインの考え方と身近な事例を通じて、人間中心のイノベーションについて考えます。
本記事は、Hyper Island Blog「How Behavioral Design Shapes Everyday Innovation」を。許可を得て翻訳・編集したものです。
イノベーションが失敗する理由
多くのイノベーションは、アイデアそのものが悪かったから失敗するわけではありません。
失敗の原因は、人々のニーズや欲求を十分に考慮しないまま、多くを求めすぎてしまうことにあります。
・確認しなければならないことが多い。
・多くの手間がかかる。
・覚えておくべきことが多すぎる。
・一度に大きな変化を求める。
そして何より、人が忙しいとき、気が散っているとき、懐疑的なとき、疲れているとき、あるいは単に慣れ親しんだやり方を続けているときに、実際にはどのような行動を取るのかについて十分に考えられていないのです。
しかし、多くのイノベーションに関する議論では、この視点が見落とされがちです。
私たちはイノベーションを、画期的なひらめきや優れたコンセプトとして捉えがちです。ポストイットが並ぶ会議室で、誰かが「こんなことをしたらどうだろう?」と提案する―そんな場面を思い浮かべるかもしれません。しかし現実には、どれほど優れたアイデアであっても、人々の行動や意思決定、ためらい、習慣に合っていなければ、期待した成果につながらないことがあります。
きっと、こうした場面を目にしたことがあるのではないでしょうか。
新機能をリリースしたのに、ほとんど利用されない。
職場でより良い業務プロセスを導入したのに、結局みんな以前のやり方を続けてしまう。
キャンペーンでは正しいメッセージを発信しているのに、行動変容が起きない。
それは、人々が怠惰だからでも、変化を嫌うからでも、「変化に対応するのが苦手」だからでもありません。そもそも、その行動を促す体験設計が十分になされていなかったのです。
この写真を見てみてください。見覚えがある方もいるかもしれませんし、似たような光景を実際に目にしたことがある方も多いでしょう。この写真が興味深いのは、「設計されたもの」と「実際の行動」との間にあるギャップを非常にわかりやすく示している点です。舗装された歩道は、本来設計された正規のルートです。一方、土の上にできた細い道は、人々が実際に選んだルートです。
そして、この違いは重要な示唆を与えてくれます。
多くの人が設計されたルートを使わず、自分たちで新たな道をつくり始めるとき、それはたまたま起きたことではありません。それはユーザーからのフィードバックなのです。
そこには、既存の設計にどのような「摩擦」があったのか、ユーザー体験のどこが現実とずれていたのか、そして人々がなぜより簡単で、より速く、より合理的な選択肢を求めたのかが表れています。
こうした現象は、あらゆる場所で起こっています。製品やサービス、職場、公共システムなど、人々は近道を見つけ、手順を省略し、機能を使わず、決められたプロセスを回避します。
そして、その一つひとつの行動が何かを物語っています。
多くの場合、それは「設計が実際の人間の行動に十分適応できていない」というサインです。
ここで役立つのが、行動デザイン(Behavioral Design)という考え方です。
行動デザインは、「なぜ人々は私たちの期待通りに行動してくれないのか?」という問いを、「今の行動を取りやすくしている要因は何か? そして、より望ましい行動が自然に選ばれるように体験を設計し直すにはどうすればよいか?」という問いへと変えます。
そして、多くの場合、より優れたデザインと、より意味のあるイノベーションは、そこから生まれるのです。
なぜ優れたアイデアだけでは不十分なのか
私たちは「素晴らしいアイデア」というものが大好きです。
無数の付箋に思いつきを書き出し、壁一面に貼り巡らせながら、頭上に電球が灯るようなひらめきの瞬間を待つ。そんな光景を思い浮かべる人も多いでしょう。
そして実際に、その瞬間が訪れることもあります。何か新しい変化を生み出す可能性を秘めたアイデアにたどり着くこともあるかもしれません。
しかし、そのアイデアをすぐに形にしようとする前に、一度立ち止まって考えてみる価値があります。
「このアイデアは、本当に行動インサイトに基づいているだろうか?」
もしそうでなければ、そのアイデアは人々の実際の行動や体験を反映しているというよりも、私たち自身の思い込みや好み、直感を反映しているだけかもしれません。そうだとしたら、その輝かしいひらめきも、あっという間に色あせてしまうでしょう。
ここで役立つのがデザイン思考です。
デザイン思考は単なるブレインストーミングのための流行語ではありません。人々の行動やニーズ、そして体験がうまく機能していない瞬間から出発するためのアプローチです。
なぜなら、机上ではどれほど優れたアイデアに見えても、人々の行動が変わるわけではないからです。もしそうなら、私たちはもっと健康に良いとわかっていることを実践し、スマートフォンを見る時間を減らし、家具を組み立てる前には必ず説明書を読んでいるはずです。
しかし、現実はそうではありません。
人の行動の多くは、置かれた状況や習慣によって形づくられています。そして、「簡単そう」「慣れている」「わかりやすい」「その場で面倒が少ない」と感じられる選択肢に引き寄せられます。
人々が毎回意識して努力し、関心を持ち続け、忘れずに行動することを前提としているのであれば、そのイノベーションは人々に多くを求めすぎているかもしれません。
多くの優れたアイデアが静かに失敗していくのは、まさにこのためです。
アイデア自体が悪かったからではなく、そのアイデアが求める行動変容を支える体験設計がなされていなかったのです。
定着するイノベーションは、必ずしも最も派手なものではありません。
むしろ、人々にとって望ましい行動を、より簡単に、よりわかりやすく、より自然に感じられるようにしたものこそが、長く受け入れられていくのです。
行動デザインは実際にどのように機能するのか
行動デザインの優れた点は、その存在をほとんど意識させないところにあります。
多くの場合、大々的な発表や劇的なリニューアルとともに現れるわけではありません。むしろ、人々の行動を少しずつ望ましい方向へ導く、小さな工夫として現れます。
たとえば、
・より適切なデフォルト設定
・よりわかりやすいサインや案内
・わずかな手間の削減
あるいは、そっと背中を押すような小さなきっかけです。
ここで重要になるのが「ナッジ(Nudge)」という考え方です。
ナッジとは、人々に強制することなく、行動に影響を与えるための小さな設計上の工夫を指します。
選択の自由を奪うものではありません。ただ、ある選択肢をより選びやすくしたり、より目につきやすくしたり、あるいは見過ごしにくくしたりするだけです。
おそらく、私たちはこうした工夫に日常の中で何度も触れているはずです。しかし、その存在を意識することはあまりありません。
そして注意深く見てみると、一つの共通点が見えてきます。
効果的なイノベーションの多くは、人々がすでにどのように行動しているのかを理解することから始まります。そして、その現実に合わせて体験を設計しているのです。
【事例①】ストックホルムの「ピアノ階段」
強制するのではなく、より望ましい選択肢を、より魅力的なものにした事例。
【事例②】小便器の中のハエ
人々の行動
利用者があまり意識せずに用を足すことで、水はねや汚れが発生していた。
目標
注意書きや呼びかけ、厳しいルールに頼ることなく、水はねを減らすこと。
施策
小便器の内側に小さなハエのステッカーを貼り、自然と目標物ができるようにした。
結果
利用者の行動がほぼ無意識のうちに変化し、水はねは大幅に減少。
非常に小さな工夫だが、そこにこそ重要なポイントがある。人々の注意を、シンプルで直感的な方法で少し向け直しただけで、行動そのものが変わった事例。
【事例③】手指消毒剤をケアの現場に設置する
人々の行動
医療従事者は手指衛生の重要性を理解していたものの、実際の実施率は十分とは言えなかった。
目標
手指消毒をより確実に実践してもらうこと。
施策
手指消毒剤のディスペンサーを、患者ケアを行う場所のすぐ近くに設置しました。必要なタイミングで、すぐに利用できるようにした。
結果
手指消毒の実施率は向上した。
問題は、手指衛生の重要性が認識されていなかったことではなく、望ましい行動を取ろうと思っても、見落としたり後回しにしたりしやすい環境になっていたことであった。
望ましい行動を、より簡単に、よりその場で実行しやすくした事例。
気づかないうちに私たちを導く身近なナッジ
行動デザインの例は、特別な場所にだけ存在するわけではありません。
私たちは日々、こうした小さな工夫に触れていますが、その多くを意識することはありません。
同じ考え方は、最近増えている「ボトルとキャップがつながった容器」にも見られます。従来のように、利用者がキャップをなくさずに管理したり、適切に分別して捨てたりすることに頼るのではなく、デザインそのものが使い方を変えているのです。キャップをボトルと一体化することで、紛失しにくくなるだけでなく、容器と一緒にリサイクルしやすくなります。
これも、行動デザインのシンプルな事例の一つです。
人々を説得して行動を変えようとするのではなく、自然と望ましい行動が取れるように仕組みそのものを設計しているのです。
行動デザインの効果は、選択肢がある場面でよりわかりやすく現れます。
たとえば、スーパーマーケットの商品棚を思い浮かべてみてください。目線の高さに並べられた商品は、下の棚に置かれた商品よりも見つけてもらいやすく、選ばれる可能性も高くなります。
商品そのものが変わったわけではありません。価格が変わったわけでもありません。それでも、環境のデザインが人々の注意を引きつけ、その注意が選択に影響を与えているのです。
同じことはオンラインの世界でも起こっています。あらかじめ選択された設定やデフォルトオプション、ワンクリックで完了する購入手続きなどは、ある選択肢を他の選択肢よりも選びやすくしています。
もちろん、別の選択をする自由は残されています。しかしデザインは、必要な手間を減らすことで、特定の方向へとそっと行動を後押ししているのです。
また、行動経済学では「妥協効果(Compromise Effect)」と呼ばれる現象も知られています。
これは、複数の選択肢があるとき、人々が中間の選択肢を選びやすくなる傾向を指します。たとえば、「小・中・大」の3つのサイズが提示された場合、多くの人は真ん中の「中」を選ぶ傾向があります。
サブスクリプションサービスの料金プランは、この考え方を活用した代表的な例です。
ベーシックプラン、プレミアムプラン、プレミアムプラスプランの3つが提示されるとき、その構成は単に選択肢を並べているだけではありません。選択肢の見え方そのものをデザインしているのです。3つ目の選択肢が加わることで、真ん中のプランが「最もバランスが取れている」「最も合理的だ」「最もお得だ」と感じられることがあります。もし選択肢が2つしかなければ、そのプランは選ばれていなかったかもしれません。
こうした工夫は一見すると小さなものに思えるかもしれません。
しかし実際には、私たちの行動に日々大きな影響を与えています。
そして、デザインが行動に与える影響に気づくようになると、問いそのものも変わってきます。
「何をデザインできるだろうか?」ではなく、
「私たちはどのような行動を生み出そうとしているのだろうか?」
という問いへと。
本当に変えたいものは何か?
行動デザインの視点からイノベーションを捉えるとき、特に重要になる問いがあります。
「私たちは、どのような行動を変えようとしているのだろうか?」
多くのチームは、この問いに対して曖昧なままになりがちです。
「エンゲージメントを高めたい」
「利用率を向上させたい」
「習慣化を促したい」
こうした言葉はよく使われますが、それらはあくまで結果です。
より良いデザインを生み出すためには、さらに具体的に考える必要があります。
人々に、実際にはどのような行動を取ってほしいのでしょうか。
何に気づいてほしいのか。
何を選んでほしいのか。
何をクリックしてほしいのか。
何を最後まで完了してほしいのか。
もう一度戻ってきてほしいのか。
あるいは、十分な信頼を感じて「YES」と言ってほしいのか。
そこが明確になると、次に考えるべき問いも見えてきます。
現在、どのような行動が取られているのか。
今の行動を支えているのは何か。
どこに摩擦や障壁があるのか。
望ましい行動を、より簡単に、よりわかりやすく、より自然なものにするにはどうすればよいのか。
なぜなら、より良いイノベーションは必ずしも大きなアイデアから生まれるわけではないからです。
まず必要なのは、影響を与えたい行動をより明確に理解することなのです。
イノベーションは「摩擦」がある場所から始まる
私たちは、イノベーションを華やかなものとして捉えがちです。
画期的な発見。
新しいアイデアの発表。
すべてを一変させるような大胆な発想。
そんなイメージを思い浮かべるかもしれません。しかし実際には、イノベーションはもっと地味なところから始まることが少なくありません。それは、「摩擦」が生じている場所です。
・人々がいつも飛ばしてしまう手順
・誰にも使われていない機能
・形だけ存在し、実際には別のやり方で運用されているプロセス
・必要以上に煩わしく感じられる製品体験
・期待とは異なる選択が繰り返されている状況
こうした場面こそが、見逃してはならない重要なヒントなのです。
なぜなら、摩擦は現在の体験や仕組みが十分に機能していない場所を教えてくれるからです。
そして、そうした瞬間に目を向けるようになると、イノベーションは「人々が何を望んでいるのかを推測すること」ではなく、「人々がすでに示している行動に気づくこと」へと変わっていきます。
その先にある変化は、大きなものかもしれません。
あるいは、驚くほど小さなものかもしれません。
しかし多くの場合、本当に意味のあるイノベーションは、そうした気づきから生まれるのです。
では、そうした摩擦をどのように発見し、より良い体験へとつなげていけばよいのでしょうか。
その実践的なアプローチの一つが、デザインシンキング(デザイン思考)です。
デザインシンキングでは、人々への共感から始まり、行動を観察し、インサイトを見つけ出し、アイデアを形にしながら検証を重ねていきます。こうしたプロセスは、本記事で紹介した行動デザインの考え方を実践するうえでも大きな助けとなります。
ハイパーアイランドのデザインシンキングコースでは、JOB理論や顧客インサイトの理解、アイディエーション、プロトタイピングなどを通じて、人々のニーズや行動を起点にイノベーションを生み出す方法を実践的に学ぶことができます。
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